奴らは夜にやって来る


 

 女の肢体を拾った。

 

 道端に落ちていたものを持って帰ってきた。

 文字通り、女の肢体だ。

 胴、腕、乳房、腰、脚―――何故か頭だけが見当たらない。

 幸い、誰にも見付かる事なく、部屋の中に肢体を運びこめた。

 落ちているものを拾ったのだ。見付かって咎められても、恥じるところはないが、なるべくなら、面倒ごとは避けたかった。

 私が住んでいるのは、古い木造のアパートだ。

 プライバシーなどあったものではない薄い壁だが、顔のない、これが声を出す事は有り得ないだろう。私は、少し安心して、肢体を畳みの上に転がした。

 見れば見るほど、女の身体だった。

 年は二〇代だろうか。頭がない事を除けば、女の肢体そのものだ。

 本来、首のあるべき場所は、ゆで卵のように、つるん、と丸まっていた。頭は取れたのではない、始めからないのだ。

 不要なものだったのだろう。

 要らなかったから、付いていないのだ。

 そっと、手を伸ばす。

 肩に、触れてみる。

 吸い付くような柔らかさはない。

 ひんやりと冷たいが、逆に生々しい。

 そのまま二の腕を撫でた。産毛のざらつきを感じたが、やはり吸い付いてはこない。青白い血管が透けて見える。

 少し、抓ってみた。

 微動だにせず、ただ受け入れた。

 白磁の肌が、赤く変色した。

 それだけだった。

 眺めていると、その赤味も次第に引いていく。

 

 結局、何も残らなかった。

 少々拍子抜けして、飽きてしまった。

 肢体を部屋の隅に座らせると、そのまま眠った。

 眠気はなかなか訪れず、ただ眩暈がした。

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 女の肢体は、ずっと部屋に置いていた。

 それは動くわけでもなく、ずっと部屋の隅に座っていた。

 座らせ方が悪かったせいで、すぐに倒れた。

 倒れたままでは、何となく居心地が悪かったので、その度に座らせなおした。

 だが、なかなか上手くいかなかった。

 肢体には座る力がなく、座る意志もない。

 私は、寝かせておくのは納得できなかったし、そのまま放置しておくのは、更に我慢ならなかった。

 仕方がないので、椅子を買ってきた。

 木製の安いものだ。

 座らせると、安定しているように見えた。

 私は、それで満足だった。

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 暑苦しい日だった。

 団扇だけでは我慢できず、私は扇風機を引っ張り出した。

 女の肢体は、相変わらず座っているだけだった。

 軽く、触れてみた。

 ひんやりとしていたが、掌に吸い付いた。

 そのまま皮膚を撫で回す。

 生暖かい体液が、掌に絡まってきた。

 肢体は、汗ばんでいた。

 不快だった。

 何故、汗をかくのか。

 椅子がなければ座る事もできないのに。

 不快を通り越して、腹が立った。

 私は耐えられず、手を放し、タオルを持ってきた。

 そして、そのタオルで、肢体の汗を拭った。

 肩――二の腕、掌から指先。

 鎖骨を拭い、乳房、その下の腹。

 股を開かせ、脚――内腿、足首、臀部も拭った。

 私は、汗だくだった。

 だが、そこまでしても、肢体は汗を出した。

 胸を拭えば、脚から。脚を拭えば、肩から。肩を拭えば胸から。

 限がなかった。

 ついに、私は限界を迎えた。

 馬鹿馬鹿しい上に、腹立たしい。

 視界の中に入れなければ、問題はないはずだ。

 そう思って、私は背を向け、そのまま眠ってしまった。

 

 でも、背後では、肢体が汗をかいているのだ。

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 夜。

 不意に目が醒めた。

 腹立たしさは収まっておらず、私は力に任せて、肢体を蹴り飛ばした。

 音を立てて、肢体は椅子から転げ落ちた。

 抵抗もせず、反抗もしない。

 私は幾分落ち着いて、再び眠りについた。

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 肢体は、そのまま転がっていた。

 足の当たった右腕には、大きな痣ができている。

 

 強い、眩暈がした。

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 乳房を触った。

 ただ、掌を乗せ、動きを止めた。

 肢体は、ぴくりとも動かなかった。

 眩暈が襲ってきた。

 それに耐えながら、指に力を籠める。

 冷たいだけの肉の間に、指が沈んでいく。

 乳房が、掌の形に歪んでいく。

 少しずつ、少しずつ。

 力を籠める。

 嫌がっているのか、喜んでいるのか。

 そもそも、そんな意識が目の前の肢体にはあるのか。

 限界まで力を入れた。

 握り潰しそうな力だったが、冷たい感触に変わりはない。

 ただ、掌に感じた乳首の肌触りが、鮮烈だった。

 強烈な眩暈を感じて、手を放す。

 肢体に、変化はない。

 柔肌に刻まれた手形も、内出血の痕も気にならない。

 乳房を掴む前も、掴む後も。

 それは、そこに横たわっているのだ。

 これは、女の肢体なのか。

 それとも、女を模った肉の塊なのか。

 

 冷たさだけが、掌に残る。

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 明け方。

 私は、不意に目を醒ました。

 徐に立ち上がって、肢体を椅子から引き倒し、覆い被さった。

 椅子は壊れてしまったが、肢体は動かなかった。

 そのまま、肢体を犯した。

 欲した訳でも、求めた訳でもない。

 ただ、眩暈に耐えられなくなったのだ。

 やはり、抵抗も、反抗もなかった。

 肢体は、私のされるがままに、犯され、蹂躙され、貫かれた。

 私は、至極冷静だった。

 狂気に蝕まれている訳でも、正気を保てなくなった訳でもない。

 落ち着いて、この行為を俯瞰した。

 汗が滴り、肢体の柔肌を滑り、汚した。

 熱気が籠もり、呻き声が喉を振るわせた。

 まるで、熱を出した獣だ。

 馬鹿馬鹿しくて、笑いも出てこない。

 なぜ、こんなものに私は眩暈を感じていたのか。

 夜が明け始めた。

 腹の下で、私を受け入れ続ける、それを見詰める。

 

 ひんやりと冷たい白磁の肌。

 汗をかくだけの不快な肌。

 朝の陽に晒されるそれは―――

 

 朱く、色づいていた。

 

 眩暈。

 恐る恐る、肢体の肩を撫でる。

 ほんのりと、熱い。

 脅えながら、その肉体に指を這わせる。

 肩、首、鎖骨、胸――――しこりに触れた。

 手で、確かめるように押し潰す。

 汗に滑る掌に、そのしこりは、鮮烈な感触を残す。

 肢体の下腹部に触れる。

 僅かな産毛が、誰かの汗に濡れている。

 私の下半身を飲み込むその場所は、確かな熱で火照っている。

 

 再び、眩暈が襲ってきた。

 腹立たしく、吐き気がする。

 肢体は、私を受け入れていた。

 私は――肢体に受け入れられていた。

 

 我慢ならなかった。

 怒りをぶつけるように、肢体を蹂躙した。

 抵抗も、反抗もなく、ただ受け入れる。

 力ない肢体は、私の下で、壊れた人形のようにぶらぶらと動き回り、暴力に近い律動を、ただ受け続けた。

 それでも、肢体は反応する。

 肌を朱に染め、熱に火照らせ、身体を濡らす。

 意志も、意識もない肉の塊が。

 まるで、昂ぶっているように模倣する。

 限界だった。

 壊してしまいそうな勢いで、貫く。

 いや、壊すつもりだった。

 私の律動に耐え切れず、肢体がばらばらに壊れたら、どんなに滑稽で、素晴らしい光景だった事か。

 眩暈はまだ治まらない。

 私はそれを振り切るように、肢体を刻み―――

 

 結局、

 彼女の中に、果てた。

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 前後不覚な日々が続いた。

 私は、体調を崩し、以前にも増して塞ぎこんだ。

 肢体は、そのままだった。

 性交の痕を残したまま、布団に横たわっている。

 身体を拭く気も、椅子に戻す気にもなれなかった。

 ただ、気が付けば、鬱陶しい眩暈は治まっていた。

 それだけだった。

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 肢体に触れた。

 ほんの気まぐれだった。

 それは、以前のような、ひんやりとした冷たさで、眩暈も理不尽な不快感もない。

 ただの女の肢体だった。

 私は、少々拍子抜けしてしまった。

 一体、何に脅えていたのだろうか。

 一体、何を塞ぎこんでいたのだろうか。

 気を取り直して、濡らしたタオルを持ってくる。

 椅子は壊れたままだったので、仰向けに寝かせた。

 そして、肢体を丁寧に拭った。

 肩――二の腕、掌から指先。

 鎖骨を拭い、乳房、その下の腹―――違和感があった。

 タオルを捨て、下腹部を、直に触れる。

 ひんやりと冷たい肌の奥に、熱が籠もっていた。

 まるで、中に何かが入っているように。

 

 強烈な眩暈がした。

 耐え切れず、私はその場に胃液をぶちまけた。

 全て吐ききって、私は再び肢体へと向き直った。

 そして、その腹に手を乗せる。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。

 手を乗せては、掌にほのかに残る熱を振り払った。

 何百回とそうやって、私は諦めた。

 肢体をそのままに、畳の上に転がる。

 

 疑う余地は、なかった。

 肢体は―――子を孕んでいた。

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 肢体は、動かなかった。

 平常通り、転がっているだけだ。

 ただ腹だけが、日に日に大きくなっていった。

 

 強姦ですらなかった。

 暴力に酔った訳でも、性欲の捌け口にした訳でもない。

 例えるならば、ただの眩暈だ。

 私は酩酊し、虚ろなものを放った。

 それだけの事なのに。

 彼女は、物言わず、ただ腹だけが膨らんでいく。

 そもそも、あれは何だ。

 彼女は、人間でもなければ、死体でもない。

 暑ければ汗をかき、殴れば痣ができる、ただの肉だ。

 それが、偶々、孕んだ、というだけに過ぎない。

 それだけの事なのに。

 彼女は、物言わず、ただ腹だけが膨らんでいく。

 それは、成長している。

 息づき、生を受け、腹の中で蠢いている。

 

 あれは―――なんだ。

 

 彼女は、肉の人形だ。

 意識も意志も、自分で座る力もない。

 そんなものが、私の子を孕んだ。

 その時になって。

 一体、何が産道から這い出してくるのか。

 

 眩暈は、しなかった。

 彼女の子宮に忘れてきたのだ。

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 ナイフを買った。

 切れ味の良さそうな、サバイバルナイフだ。

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 昼。

 茹だるような真夏日。

 肢体の腹は、まるで満月のように膨らんでいた。

 もう、我慢できなかった。

 私は肢体を、布団の上にそっと寝かせた。

 そして、暫く前に買っておいた、ナイフを取り出した。

 刃が、差し込む日光を反射する。

 汗が滴る。

 熱が籠もる。

 やはり、彼女は抵抗もせず、反抗もしない。

 ただ、腹だけが膨らんでいる。

 躊躇いはなかった。

 私は、刃を下に、彼女の腹を裂いた。

 まるで、熱を出した獣だ。

 

 そして、

 開かれた穴を覗き込み、

 私は―――その虚ろと対峙した。

 

 

                                         完


[あとがき]
 ホラー(?)なお話。
 着想は、仲間内で話した妙な雑談からですが、夏の暑さも相俟って、酷いモノに昇華されました(笑)
 こういう話が嫌いだった人は、ごめんなさい。
 私自身、こういうわけ分らない話は好きな方なので、また閃いたら書くかもしれません。……いや、書かないかも(笑)